2026.02.17
カルチャー / グルメ
三方を海に囲まれた千葉県ならではの特産物「塩」。国の専売制や工業化が始まる以前は、県内のさまざまな地域でつくられており、人々の生活を支えていました。そんな手づくり塩の伝統を復活させ、ミネラルたっぷりの九十九里の海の塩を提供しているのが「九十九里海の塩プロジェクト」(山武市)の代表 山路由美子さんです。
国際環境認証「ブルーフラッグ」※を7年連続で獲得している本須賀海岸の海水を平窯で炊いた自然塩「山武の海の塩」は、キラキラと美しく、まるでクリスタルのような輝きを放ちます。

「九十九里海の塩プロジェクト」の代表 山路由美子さん。

左から)山武の海の塩シリーズ「塩だし」「塩むすび」「塩飴」
山路「ぜひ手に取って舐めてみてください。粒の大きさがちがうでしょ? ことのはじまりは、東日本大震災の際に福島で被災された方への緊急雇用の企画でした。山武市と観光協会で、九十九里海岸で塩づくりを再開させて、その作業を助けていただこうということになって。観光協会の役員だった先代が80年前の幼い頃の記憶をたどり復活させたんです」
九十九里の塩づくりは、海岸を区画してつくる塩田方式でしたが、天候に左右されるうえに、広い土地を必要とするため効率的ではありません。そこで昭和20年代後半から46年頃まで主流だった「流下式採鹹(りゅうかしきさいかん)」を採用。竹の枝で組み立てた「枝条架(しじょうか)」の代わりに、吊るした漁網に海水を掛ける方法を取り入れました。
山路「とても特徴のある塩ができあがって、皆さんからは『他のとは違う!』と評価をいただいたものですから、緊急雇用政策が終わってからも独立して続けることになったんですね」

敷地内に積まれたたくさんの薪。火力の強弱によって杉や桜の木、廃材などを使い分けている。

漁網を利用した「流下式採鹹」。網に海水を垂らし、水分をとばして濃縮させることで熱源である薪のコストを減らすことにもなる。
漁網をつたい下へと垂れる間に、海水は太陽と風にさらされて水分がとび濃縮されます。下に受けて貯められたその海水をふたたび漁網にかけることを繰り返し、十分に塩分が濃くなったところで濾過工程にうつります。その後、平釜で焚くこと3~4日すると結晶が現れるのです。
山路「以前は釜がひとつしかありませんでしたが、引き継いでからは釜が2基になり、今は3基に増えています。3基に増やしたのには理由あって。手づくりの塩はいろいろとありますが、わたしは海水に含まれている炭酸カルシウムや硫酸カルシウムを除きたいんです」
炭酸カルシウムと硫酸カルシウムはそれぞれ結晶化する温度が異なり、時間差で沈殿するため釜が3段階分必要になります。1段目と2段目で余分な炭酸カルシウムや硫酸カルシウムなどの“かんすいカス”を十分に取り除き、3段目の釜でさらに煮詰めることで純度の高い塩化ナトリウム結晶が現れます。釜からすくい出したその結晶を、太陽の下で天日干しにして完成となり、海から汲んできて天日干しにするまでは1週間ほどかかります。
山路「炭酸カルシウムも硫酸カルシウムも海水に溶け込んでいる自然物質ですが、これが含まれていると、ざらざらと舌さわりがよくないし味もしません。硫酸カルシウムは石膏が溶け込んでいるのと一緒ですから、安心して召し上がっていただくためにも取り除いた方がいいと思っています」
塩づくりを引き継いた山路さんが、もうひとつ改良したのが焚口。先代の時代は、釜と焚口が一体化していましたが、室内で炊くと釜に余計な物質が入り込むため、焚口を外に備え付け、より衛生的に塩が精製できるように工夫しました。

3段階釜。平釜が3基並びそれぞれ結晶させる物質がちがう。

取り出された硫酸カルシウム。

山路さんのアイデイアで外に取り付けられた「焚口」。

3段目の釜からすくい出された純度の高い塩化ナトリウムの結晶。透明で粒が大きくキラキラと光る。
天然塩(自然塩・天日塩)
ひと口に塩といってもさまざま。海水から塩を取り出す工程に差があり大きく3つに分けることができます。山路さんのつくる「山武の海の塩」は「天然塩」と呼ばれる塩で、食品表示には「天日」「平釜」「逆浸透膜」などと表示されます。
精製塩(食塩)
海水を電気分解し塩化ナトリウムを純度99%以上に精製した塩で、大量生産ができて安価なため加工食品など広く使われています。いわゆる「食塩」で食品表示には、「イオン膜」「イオン交換膜」「立釜」などといった表示がされています。不純物と一緒に塩化ナトリウムの吸収をおだやかにするミネラルも取り除いてしまうため、塩分を控えたい方には不向きです。
再生加工塩
精製塩や自然塩を再加工したものです。柚子や梅、ニンニク、にがりなどを加えることで風味や個性を追加したブレンド塩。また、海外から輸入した天日塩や岩塩、湖塩を日本の海水で洗い、汚れや不純物を取り除き、衛生的で日本人の味覚にあった塩に再生加工したものもあります。
そもそも、高温多湿で面積が狭い日本では塩をつくる量に限界があり、輸入や工場での生産で賄う必要があります。専売時代が終わり1997年の自由化後は、海外産の珍しい岩塩や日本各地の伝統的な塩づくりが復活し、さまざまな塩が楽しめるようになりました。
山路「弊社では月にだいたい200㎏くらい生産しますが、正直、注文が追いつきません。最近では『塩づくりを教えてください』と訪ねてくださる方もいますが、手間のわりにつくれる量が少ないので、驚かれて挫折してしまう方も多いです。趣味や副業として楽しむなら良いですが…専業でやるのはなかなか大変ですね」
現在はアルバイトをあわせて4人で分担しながら塩づくりをしていますが、基本的には山路さんひとりの作業が多いそうです。荒波のなか海水を運び、暑さのなか塩を焚き続けるという根気と体力のいる仕事。「今は子供も大きいので仕事に集中できる環境ですから」と笑う山路さん。実は、銀行員から観光協会、そして塩職人という異色のキャリアの持ち主です。
山路「言ってしまえば成り行きで始めたものですが、続けてこられたのは、不思議と困ったときに誰かが助けてくれるからです。独立したころは、女性ひとり塩づくりなどモノ珍しかったのか、悪戯や嫌がらせを受けたこともありました。台風がきて工場の屋根が飛んだり櫓が倒れたり、辞めてしまおうかと思ったことも何度かありましたが、その度に誰かが手を差し伸べてくださる。それと、親会社の「東京ソルト」さんとのご縁も大きいですね。塩の専門知識や専門技術を教えていただきました。だからこそ『もうちょっとやってみよう』と思いながら、気づけば15年が経っていました」
九十九里地域には内陸の山側に住まう人が薪を提供し、海側に住まう人が塩を提供するという地域循環があったそうで、商品名の“塩むすび”はそのエピソードをもとにネーミングされています。
山路「塩づくりをしていると、ご近所さんから畑で採れたネギやブロッコリー、大根など持ち切れないほどいただきます。お礼に塩をおすそ分けしたり、通りがかった方との世間話も楽しいです。昔から変わらない地域の方との交流や巡り合わせがあって今がある、これもまた“塩むすび”ですね」


約500mの広大な砂浜と約30本のヤシの木が特徴の「本須賀海水浴場」。
水質・安全性・環境教育・環境マネジメントの基準を満たした環境認証制度「ブルーフラッグ」を有する。
山路さんが手塩にかけてつくった「山武の海の塩」はECサイトをはじめ、直売所や「うまくたの里」(木更津)「ローズマリー公園」(南房総市)などの「道の駅」、また県内のドラッグストアーやスーパーなどでも買い求めることができます。
山路「地元のパン屋さんやお菓子屋さん、干物屋さんなどでも引き合いをいただいています。最近では、千葉県の多彩な農林水産物を活用したご当地グルメ「黒アヒージョ」にも採用していただきました。塩は甘いものから辛いものまで使えますから、皆さんが色々なアイデアを出してくださいます」
また、無印良品の地域の良品を紹介するガイド誌「つながるガイド/千葉」(英語版)にも掲載されているそうで、成田空港でガイド誌を手にとった海外旅行者が「せひ欲しい」と訪ねてくるそうです。

洋菓子店「スイーツ工房 リヴィエール」(東金市)の「塩ブッセ」は地元で大人気の洋菓子。
塩の粒がそのまま感じられるパンチの効いたバタークリームが特徴。

スイーツから出汁までさまざまな加工品に使われている「山武の海の塩」。
さらに“お清め”としての意味もある塩。「山武の海の塩」は「阿佐ヶ谷神明宮」(東京都)や「三峰神社」(埼玉)をはじめ有名神社にも納めているそう。「持ち塩とか、盛り塩とかですね。やはりそういうところでは機械でつくった塩より手づくりの美しい海からとれた天然塩のほうがパワーを感じるみたいです」と山路さん。九十九里の海の恵みがぎゅっと濃縮された塩との“ご塩”。地域や国も超えてどんどんと広がっています。
株式会社九十九里海の塩プロジェクト
千葉県山武市松ケ谷イ1247-5
HP:https://sammu-sea-salt.com/