2023.08.10

千葉県初のクラフトウイスキーは日本酒の蔵元から。
久留里の名水に育まれた「房総ウイスキー」

カルチャー / グルメ

房総半島には、古くから市井の人々や旅人の渇きを癒してきた湧水地が数多く存在します。なかでも県内有数の名水の里として知られているのが「久留里」(君津市)。地下400~600mの深さからの湧水は、清澄・三石山系の森に降った雨水が地層を通って湧き出たもので「平成の名水百選」にも選ばれています。

久留里駅前にある「水汲み広場」。一般開放されており県内各地から多くの人が水を汲みに訪れる。

久留里地区には、いたるところに重要無形民俗文化財にも指定されている「上総掘り(かずさぼり)」という井戸掘り技術によって掘削された地下水が自噴しており、飲料水や農業用水として利用されてきました。

住宅地の一角にある個人宅所有らしき井戸。久留里地区ではこのような井戸をいくつも見かけることができる。

2010年に完成した比較的新しい「新町の井戸」。ドバドバと湧水が噴きだしていた。こちらも一般開放されており自由に水が汲める。

君津市が発祥の地とされる「上総掘り」は、それまでの掘り抜き井戸の掘削方法と異なり、竹やブリキなどの身近な材料を使い、4~5人ほどの人力のみで掘削できる安全かつ効率的な方法でした。

まず、約10mの高さに組まれたやぐらから、竹ひごの先端に付けられた“堀鉄管”を吊り下げ、堀穴へ粘土を混入した水を注入しつつ、突き下しながら穴を掘りすすめていきます。彫り出された土や砂利は水と一緒に“吸い子”と呼ばれるポンプのような道具で外に押し出していきます。

掘り進められて穴が深くなると“ひごぐるま”に巻き付けられていた竹ひごをのばして長さを調節。引き上げるときには、ひごぐるまに人が入り踏み板を踏むことで竹ひごを巻き取り掘鉄管を持ち上げます。

これは、いわゆるボーリング技術の応用で、明治19年(1886年)には約540mの深さまで掘削できるほどになり石油や鉱物、温泉開発などにも広く応用されるなど、その後の機械技術導入の基盤に影響を及ぼした民俗技術としても大きな役割を果たしています。

「上総掘り」のやぐら。中央の“ひごぐるま”に、堀鉄管をつけた竹ひごを巻きつけ穴に吊り下ろして掘削する。
1日に5~6mほど掘り進めることができたそうだ。


名水が沸くところに名酒あり

さて、日本の湧水のほとんどが50mg/L~60mg/L未満の軟水といわれるなか、久留里の湧水は中硬水(硬度が60~120㎎/ L未満)と少し硬めです。

あくまで目安ですが、ミネラル分量が少ない軟水で仕込まれた酒は発酵がゆるやかに進むため口当たりがまろやで繊細、淡麗な酒ができあがるイメージ。一方、発酵が進みやすい硬水(120~180㎎/ L未満)で仕込まれた酒は、キレがあり存在感のある辛口に仕上がる傾向があるようです。

中硬水である久留里の湧水は、軟水よりはややミネラル分量が多いため、その水で仕込んだ酒はまろやかでありながらも、複雑な風味と重厚感があるとされています。

そんな久留里の湧水に育まれて誕生したのが千葉県初のクラフトウイスキー「房総ウイスキー」。手掛けたのは清酒「天乃原」をはじめ、芋や麦、枝豆に自然薯、蕎麦などバラエティに富んだ焼酎なども製造してきた酒蔵「株式会社 須藤本家」(君津市青柳)です。

須藤本家の須藤正敏社長。


清酒酵母で造るクラフトウイスキー

明治18年から清酒を扱っている須藤本家では、日本酒や焼酎の需要が伸び悩むなか、2018年に県内で初めてウイスキーの製造免許を取得。町おこしをかねて、県内の特産物を活かした焼酎造りに取り組んだ際の蒸留技術と設備を応用してウイスキー造りにとりかかりましたが、はじめは敷居が高かったといいます。

須藤「清酒酵母はデリケート。ウイスキー酵母は強いから蔵に住み着いた清酒の菌をダメにしてしまう。だから、ウイスキー酵母を使わずに清酒酵母でウイスキーを造ってみることにした。あと、ウイスキーは熟成させるぶん貯蔵期間が長いから日本酒の蔵元としては気軽に挑めなかったな。でも結果的に挑戦してみて良かったよね」

清酒酵母で発酵させた「房総ウイスキー」は、スモーキーさ控えめで、まろやかな風味と華のある甘い香りが特長の日本人好みの仕上がりに。発売当初こそ売れ行が芳しくなかったものの、口コミで徐々にファンが増え、今や生産が追い付かないほどの人気商品となりました。日本酒の酒蔵ならではのクラフトウイスキーを多くの人に楽しんでほしいと、あえて親しみやすい価格で提供したこともリピーターを増やすきっかけになっています。

千葉県初のクラフトウイスキー「房総ウイスキー」。自社製モルトと独自ルートで確保した英国産スコッチのブレンド。
700ml × 1本 ¥2,200(税込)と懐に優しい値段。

世界的にみても蒸留酒は種類が多く市場も大きいそうで「もっと日本酒の酒蔵が洋酒造りをしてもいいと思うけど…なかなか封建制が強くてね」と話す須藤社長。それでも近年のハイボール人気や海外での日本産ウイスキーの需要の高まりもあって、須藤社長が販売を始めた4~5年前にくらべると地ウイスキー造りを始める日本酒の蔵元は全国で100社ほどに増えているそうです。

須藤「でも、今の時代、その土地ならではの地酒が造りにくくなっている。蔵固有の菌や酵母だって簡単に手に入るし、水だって成分をいくらでも加工できちゃうから酒の味や風味に違いがなくなっていると思う。だけど久留里では、少なくとも良い水が1日150tくらい豊富に湧いてくるからね、それは有り難いことだよね」

見学コースがもうけられている須藤本家の酒蔵。

写真は蒸留タンク。このタンクから「房総ウイスキー」は造られる。

酒蔵の敷地内に地下500mから湧く久留里の名水。仕込み水として利用されている。

須藤社長の先見の明と伝統の清酒造りの技、そして久留里の湧水が育んだ「房総ウイスキー」。現在、須藤社長“とっておき”の大麦100%のモルトウィスキーが樽のなかで熟成中であり、充分に寝かせて最高の状態で出荷する予定だそう。また、まもなく「房総ウイスキー」を仕込んだハイボール缶も発売されるそうで、須藤本家と須藤社長の挑戦はまだまだ続きます。


株式会社須藤本家
千葉県君津市青柳16-10
https://www.sudouhonke.co.jp

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